千葉市で空手を極める!ワンランク上の自分になるために | 空手 千葉市
人生において「ワンランク上を目指す」という意識は、人間を大きく成長させる力になります。
これは、仕事、学業、スポーツ、芸術、そして私たちが日々精進している「空手道」においても、すべてに通じる共通の真理だと私は考えています。「責任」「意識」「覚悟」を伴った立場に身を置いたとき、人は想像を超える力を発揮します。そして、自らの殻を破り、真の意味で成長していくのです。
任されることで育つ
これは仕事でも同じ事が言えると思います。道場の場合、強く実感しているのは、「人は任されることで育つ」ということです。いつまでも下の立場にいて、言われたことだけをこなしている間は、本当の力を発揮できません。
しかし、「ワンランク上」の立場に立ち、「見られる」「期待される」「導く」存在になった時、自分でも驚くほどの集中力と責任感が生まれます。それが成長のきっかけになるのです。

少年部リーダーの変化
当道場では、小学6年生までが少年部。その上は一般部に所属します。そのため、毎年卒業と同時に5年生が最上級生となり、少年部のリーダー的存在になります。
これまで控えめだった子が、突然前に立ち、後輩を指導する立場になります。戸惑いながらも、やがて自信を持って行動するようになるその変化は、目を見張るものがあります。そのような子が少しでも多く育って欲しいと願って指導しています。
昇級審査の重み
帯の昇級審査もまた、「ワンランク上」の責任を実感する機会です。
当道場では、技術だけでなく、態度や礼儀、日々の稽古への取り組み方を含めて審査を行います。帯の色が変わったその日から、後輩の目が自分に向くことを自覚し、「この帯に恥じない行動をしよう」という意識が芽生えます。組手などでも下の帯の人には負けられない、という気持ちが出て実力が付いて来ます。帯の魔力です。全ての人に当てはまる事ではありませんが、いつまでも白帯ですと、それなりの成長しか見えません。
昇級して帯の色が変わる、これが次の成長を生む力になります。

試合に出ることの意味
試合に出ることも、ワンランク上に進む大きなステップです。
「出てみないか?」と私が声をかけるのは、その子が挑戦できる段階に達した証拠です。しかし、出場をためらう子も多くいます。「自信がない」「まだ早い」と。しかし、いきなり全日本大会予選などレベルの高い試合に出ろ、とは言いません。ましてや、ウチの場合は仲間内の実力の試し合い、まさに試合です。
なので、そんな時、私はこう言います。
「強くなってから試合に出るんじゃない。試合に出ることで強くなるんだ」
そして試合後には、必ず振り返りの時間を持ち、自分の言葉で課題と学びを整理させます。その積み重ねが、本当の意味での“強さ”を育てます。
黒帯昇段の重圧と自覚
黒帯に昇段すると、本人の意識も周囲の見る目も大きく変わります。
「黒帯として恥ずかしくない自分でいたい」「後輩に見られている」という責任感が、時にプレッシャーにもなります。しかし、それを乗り越えることで、本物の強さと自信が身についていきます。
成長した道場生の実例
かつて、基本や型は丁寧でも組手が苦手な子がいました。私はその努力と誠実さを評価して黒帯を許しました。
すると、彼は一変。組手にも積極的に取り組み、後輩指導にも熱心になったのです。「黒帯なのに弱い」と言われたくない、という強い意志が彼を押し上げたのでしょう。
あの時、黒帯を許して本当に良かったと思っています。
帯制度の本質
かつての極真会館では、白・茶・黒の3段階のみ。緑帯が導入されても、50人に1人しか合格できないような厳しさがありました。
しかし、誠道塾の中村先生が極真会時代に「もっと帯の色を増やし、段階的な目標を作るべき」と進言し、青帯や黄帯が導入されました。
帯は「進歩の証」であり、「目に見える目標」。それが子どもたちのやる気を引き出し、成長を後押しするのです。
一般部に進む中高生の成長
中学生からは大人に混じって一般部に所属します。最初は緊張していた子も、やがて自分の立ち位置を見出し、立派な“武道家”へと変わっていきます。
技術だけでなく、「空気を読む力」「場を整える力」が求められるようになるこの環境で、多くの道場生が精神的に大きく成長します。

学校でも役立つ空手の力
空手で養った礼儀や集中力は、学校生活にも良い影響を与えています。
挨拶をきちんとする子は先生からも評価され、試合や審査で鍛えた集中力や継続力は、受験勉強にも通じます。空手で得た経験は、あらゆる場面で活きてくるのです。
道場文化が人を育てる
空手道場は、単なる練習の場ではありません。
先輩が後輩を導き、互いに切磋琢磨する文化。失敗しても誰かが支えてくれる環境。その雰囲気全体が、人間的な成長を後押ししてくれるのです。
辞める子、続ける子の違い
空手を続ける子と辞めてしまう子には、大きな違いがあります。
辞める理由。一番の大きな理由は「飽き」があると思いますが、その裏には、「試合で負けた」「昇級できなかった」といった悔しさが潜んでいることがあります。その時に「もう無理だ」と諦めるのか、「見返してやる」と燃えるのか。違いは“困難への向き合い方”にあるのです。常にワンランク上に身を置く事で向上心が芽生え、継続する事に繋がります。
空手を通して、「諦めない心」を育ててほしい。それが私の願いです。
稽古外に見える成長
稽古外で見せるちょっとした行動に、空手の本質が表れます。
誰に言われるでもなく道場を掃除する。いつの間にか、近所の人に自分から挨拶をするようになった。後輩を気遣う。負けた仲間を励ます。そうした行動こそが、「強さと優しさ」の証なのです。
指導者としての変化
私もかつては「強くなりたい」「勝ちたい」という思いだけで空手を続けていました。
しかし、指導者となり多くの生徒を見ていく中で、空手は“人を育てる道”だと実感しました。技術だけでなく、謙虚さ、思いやり、継続力。それらを含めて育てていくのが、空手道場の役割だと思っています。

忘れられない道場生
運動が苦手で覚えも遅かった子が、ある日 試合で初勝利を挙げたことがありました。
「師範、続けてよかったです」と言った彼の笑顔を、私は忘れません。その瞬間、空手の価値がさらに深まった気がしました。
稽古が教えてくれること
稽古は苦しい。でも、その中で「できなかったことが、できるようになる」瞬間があります。
その喜びが自信になり、「自分を信じる力」へとつながります。空手は、心と体を育てる道——それを私は、道場という場を通じて、これからも伝え続けたいと思っています。
結びに
人生においても空手においても、「ワンランク上を目指す」という姿勢が、人を大きく育てます。
恐れずに挑戦し、自分を磨き続けること。それが、空手の本質であり、生き方でもあると私は信じています。
共に、一歩ずつ、「上」を目指していきましょう。