昨日の自分より、今日の自分 | 空手 千葉市
「強くなりたい!」
この一言に集約される想い。それは、年齢や性別、職業、境遇に関係なく、空手道場の門を叩く多くの人々の心に共通する動機であり、願いです。筆者自身もそのひとりでした。若かりし頃、何よりも「強さ」に憧れ、どうすればもっと強くなれるのかを考え続け、日々の稽古に打ち込んでいました。汗と涙にまみれながら、拳に夢を握りしめるように空手にのめり込んでいた日々は、今でも心の中で輝き続けています。

若い頃の「強くなりたい」という想いは、時に無謀で、時に青くさくもありますが、その熱量こそが原動力となり、自分を突き動かしてくれるのです。「試合に出たい」「全日本で優勝したい」——そういう目標は、青春の一ページを鮮やかに彩ってくれました。ですが、人は年齢を重ねるごとに、ライフステージが変わり、優先順位も変わっていきます。仕事が忙しくなり、家庭を持ち、体力も若い頃のようにはいかなくなります。
それでも——いや、それだからこそ、筆者は思うのです。
「昨日の自分より、今日の自分が強くなれたら、それは立派な成長である」
若者が「全日本チャンピオン」を目指すように、40代、50代、あるいは60代の人々にも、自分なりの「強さへの挑戦」があっていい。むしろ、年齢を重ねた今だからこそ、「強さ」の意味が変わってくるのではないでしょうか。
若い頃の強さは、瞬発力や筋力、スピードといった、身体能力に支えられたものでした。しかし、年齢を重ねた者の強さは、技術や経験、精神的な落ち着きに裏打ちされたものです。10代や20代の頃には気づかなかった“間合い”の重要性、無駄のない動きの美しさ、相手の呼吸を読む感覚。それらを体得していく喜びは、年齢を重ねて初めて味わえる醍醐味とも言えます。
また、現代の空手道場では、表面上の理由として「ダイエットしたい」「ストレス発散に」「健康維持のため」と語る人も少なくありません。もちろん、それらも立派な動機です。しかし、その根底にはやはり「強くなりたい」という本能的な願望があるのではないでしょうか。護身術的なことを学びたいという気持ちも、「自分を守れるようになりたい=強くなりたい」という願いの表れです。

年齢を理由に、強さを諦めてはいけません。
強さとは、他人と比較して生まれるものではありません。他人と比べるのではなく、「昨日の自分」と比べること。たとえわずかでも昨日より高く足を上げられた、昨日より長くスタミナが持った、昨日より一つ多くの技を覚えた。そんな小さな積み重ねが、やがて「自分にしかない強さ」を育んでいきます。
これは、誰にでも開かれた道です。
例えば、ある50代の道場生は、最初は全く型も覚えられず、蹴りもぎこちないものでした。しかし、半年後にはしっかりと基本が身に付き、今では若い人たちと混ざって稽古を楽しんでいます。彼は言います。「昨日の自分に勝てた、それだけで嬉しい」と。
こうした姿は、武現塾空手道場では日常の風景です。私たちの道場には、10代の若者から、還暦を過ぎた方まで、幅広い世代の人々が集まり、互いに刺激を受けながら稽古を続けています。誰かと競い合うというよりは、「自分自身と向き合い、昨日より少しでも前に進むこと」が共通の目標になっているのです。
空手は、技を磨くだけではなく、自分と向き合う道でもあります。自分の弱さと対峙し、それを認め、乗り越えるための手段でもあるのです。打たれ弱さ、心の揺らぎ、すぐに諦めてしまう癖……。そういった“心の弱さ”に気づき、それと向き合うことができるのも、空手の奥深さであり、醍醐味です。
だから、年齢を重ねた今、空手を始めるというのは、決して遅すぎることではありません。むしろ今だからこそ得られる学びがあり、今だからこそ味わえる楽しさがあるのです。
目指すべきは、「昨日の自分に勝つこと」

それは、どんな人にも実現できる目標です。
たとえ病気で1ヶ月休んでも、また稽古に戻ってこられたなら、それも昨日の自分より前進した証。膝に痛みを抱えながらも、型の完成度を少しでも高めようと工夫する姿勢は、まさに「強さ」そのものです。
強さとは、勝つことだけではありません。諦めないこと、挑戦し続けること、自分の中にある“昨日の自分”を乗り越えようとする意志。それこそが、本当の強さではないでしょうか。
武現塾空手は、そんな“本物の強さ”を育てる場所でありたいと願っています。
もし、あなたの心のどこかに、「強くなりたい」「変わりたい」という想いがあるなら——。
それは、立派な一歩目です。
その気持ちを大切にして、一歩、道場の中に足を踏み入れてみてください。誰かと比べる必要はありません。比べるべきは、昨日の自分だけです。そして今日、少しでも進歩できたなら、それはかけがえのない成長です。
昨日の自分より、今日の自分が、ほんの少しでも前に進んでいること。
それこそが、私たちが空手を通して得られる“真の強さ”なのです。