令和六年 戦没者を追悼し平和を祈る日

空手道武現塾の石塚克宏です。
今日は世間で言うところの、いわゆる終戦記念日です。

私は毎年、靖国神社参拝へ行っております。故郷の空手の先生から「時間のある時で良いから靖国神社に祀られている叔父さんに手を合わせてやってくれ。」と言われたのがキッカケです。ある年から田沼隆志さん(現 県議会議員)から誘われてから8/15に行くようにしています。昇殿参拝もできますしね。また、このような機会が無いと行きませんからね。

今回はサクラちゃんとリョウ君を連れて。サクラちゃんは昨年に続き2回目です。
今回は「英霊にこたえる会」として昇殿参拝。いつもは昇殿参拝と言っても5分くらいで終わりますが、「英霊にこたえる会」として行くと30分以上丁寧に行います。自衛隊の幕僚長なども一緒に参加。
終わってからは身内で記念撮影。

台湾の方々。

その後は千葉駅近くの忠霊塔へ。この忠霊塔での式も来年で終わりです。老朽化が原因で取り壊しです。護国神社の近くに移転するそうです。

そして、護国神社へ。

日の丸がはためいてます(^^♪

昭和天皇の開戦詔書の時の内閣。天皇は開戦に反対だったそうです。安倍元総理のおじいさんの名前がありますね。

終戦の詔勅。内閣が総入れ替え。

毎年、思います。私より若い人が日本を守る為に散って行った事。例え、命令されたとしても、国を、家族を守る為に散って行った人の事を考えると私の悩みなど本当に小さなものです。そして、私が出来る事など小さな事。でも、その小さな事を真剣に取り組んで行こうと思います。
まずは、次回の稽古。土曜日の少年部では審査に向けてガッチリとやりたいと思います。」

戦没者を追悼し平和を祈る日

空手道武現塾の石塚克宏です。
今日は世間では終戦記念日。私個人では敗戦記念日と思ってます。日本は戦争で負けたのは78年前に終わった大東亜戦争(日本では太平洋戦争と言いますが…)だけです。「にっぽんの祝日カレンダー」では「戦没者を追悼し平和を祈る日」となってます。良い名称だと思います。
私の故郷の空手の先生が生前「俺の叔父さん南の島で散って行って祀られているんだ。時間のある時に手を合わせてやってくれ。」と言われてから行ってます。今は県議の田沼さんが企画している靖国神社正式参拝にご一緒させて貰ってます。

今回はサクラちゃんを誘ってみました。嫌がると思ったのですがあっさりOK! お父さんから靖国神社で「英霊の言乃葉」を買って来いと言われたそうです。家庭環境でもそのようなベースがあったのも理由でしょうね。
大鳥居も前でパチリ(^ ^)

正式参拝の後、本殿前で。

忠霊塔にて。

その後は護国神社。フルコースですな(^^)

当時の戦地へ行った若者の事を思うと本当に可哀想です。自分の故郷の空手の先生の叔父さんも農家の息子なのに赤紙1枚で戦地へ行かされて亡くなったのです。
このような方々を思うと襟を正せねば、と思います。
少しでも英霊の方々に恥じない生き方をして生きたいと思います。

戦没者を追悼し平和を祈る日

空手道武現塾の石塚克宏です。
今日は世間で言う終戦記念日。

私は恒例の靖国神社へ。故郷でも空手を習っていましたが、その先生の叔父さんが祀られています。その先生が生前「お前も時間がある時は手を合わせてやってくれ。」と言ったので行ける時は行っています。
今回も田沼さん方と同行させて頂きました。毎回、昇殿参拝です。まずは外から。午前9時頃。この時間はまだこれだけの行列。昼頃になると凄まじい行列になります。

昇殿参拝のハズが私がトイレに行っている間に行われてました( ´Д`)y━・~~ まあ、行った事に意義があるので良しとします。
その後は千葉の忠霊塔へ。

そして、忠霊塔の次は新しくなった千葉護国神社へ。今年からは桜木町です。加曽利貝塚の近くですね。

多くの仕事でもそうですが現場(兵隊)の人が大変です。上の人は上の人で違う大変さがあるとは思いますが…。
亡くなった人の多くは下っ端の兵隊さんで、学生だったり普通のお父さんだったりします。国の命令で、嫌だったのでしょうが戦地に行ったのです。家族の為に。
また、空襲の犠牲者などでの子供を含む民間人も多くいるでしょう。千葉の空襲では、特に七夕空襲は深夜に行われて逃げる事が難しかったようです。稲毛にも軍事施設が多くありました。その結果、58000人の方が犠牲となりました。その事を思うと心が締め付けられます。
先の日航ジャンボ墜落事故の時でも書きましたが風化すると人は同じ過ちを繰り返します。
100年経っても、1000年経っても絶対に風化させてはいけないと思いました。語り継いで行こうと思います。
世界から戦争が無くなりますように。